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2013年 vol.20

お客さまに喜んでもらうことを徹底する

あきない合同合宿in別府
今回の研修の目的の1つは「先人から学ぶ!」である。

その先人とは明治、大正、昭和と激動の時代を生き抜いた男。
油屋熊八である。

彼の生き様を知ることで私たちのビジネスをより深化させることができるであろう。


温泉町として認知度のない別府温泉を日本や世界に売り込んだ偉大な男、油屋熊八。
熊八は奇抜なアイディアと緻密な計画と大胆な行動から
別府を日本一の温泉観光地へと創り上げた。

油屋熊八は1863(文久3)年、愛媛県宇和島の米問屋に生まれる。
30歳のときに米の相場で成功し、巨万の富を手にする。
当時は「油屋将軍」と呼ばれていた。

34歳で相場に失敗し、全財産をなくした。
翌年の明治30年34歳の熊八は単身、貨物船に乗りアメリカへ向かった。
カナダからメキシコまで3年間旅をする。

アメリカで洗礼を受け、聖書の「旅人をねんごろにせよ」という言葉に感銘した。

48歳の時、別府に移り住み旅館を経営する。
「お金儲け」から「おもてなし」へと考えを変え行動をはじめた。

「お客さまに喜んでもらうことを徹底する」
当時はお金がない。
しかし自分にできる最善のことは何かを考え行動した。

「お客さまに喜んでもらうために!何ができるか?」
最高の料理を提供するため大阪から一流料理職人呼び寄せた。
高級寝具を導入し快適な空間づくりをおこなった。

そして「おもてなし」を徹底した。
ロビーに投書箱を置き、
「お食事はいかがでございましたか」
「女中やボーイに不行き届きはございませんでしたか」など
4項目について記入してもらい、
お客さまへのサービス改善を怠りませんでした。

熊八はお客さまの安全にも気を配り、宿泊客が盲腸炎にかかったのを契機に、
ホテルに看護婦も常駐させるようにした。

宿泊客はもちろんのこと友人や知人、
そして旅行業者や交通業者などに自筆の年賀状を書いた。
その数は毎年数万通だったというから驚きである。

こうしたきめ細やかなサービスで亀の井の名声は高まり、
有名人など上客の宿泊も増えていった。

彼は事業が繁栄してくると別府ではじめて自家用車を購入し観光案内をした。
さらにもっとお客さまに喜んでもらうために日本ではじめて観光バス遊覧をはじめた。

そのバスに日本で初めての女性バスガイドを乗せた。
これが爆発的な人気となった。
最盛期には25分間隔で遊覧バスが走っていたという。

水上飛行機での遊覧なども行い大いにお客さまを喜ばせた。
また、外国旅客船の寄港を働きかけて実現している。

外国人観光客が宿泊するときは世界各国の国旗を揃えて歓迎したり、
ダンスパーティーを開催したり、自ら別府の町を観光案内したりした。

昭和2年、大阪毎日新聞が「新日本百景」を全国から募集した。
ハガキを買って市民に配り応募してもらった。
結果、別府温泉は堂々トップ当選となった。

大阪へお礼にと水上飛行艇をチャーターしてきて新聞社に向かった。
その飛行艇から「当選御礼、別府温泉」と書いた大量のビラを
神戸と大阪の上空から撒いたという。

アメリカで体験した様々なことがアイディアの源泉となっているのだろうか?

「結ぶ」
人と人
人と地域
地域と地域を結びつける。

別府だけが繁栄しても長続きしない。
別府の奥座敷、久住高原や長山温泉などに
文化人などを招待した。

油屋熊八は九州一大観光を描き実践し続けた。
毎年目標を作り実行していくことを習慣化していたという。

油屋熊八の突飛なアイディアや行動力と継続する力、
そしてそのスケールの大きさは
おもてなしの精神の延長線上から生まれていると強く感じた。

「お金儲け」ではなく
「旅人をねんごろにせよ」

(油屋熊八資料館 館長平野芳弘氏の講演)

 

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